木野の山歩き
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2003年の山
年 末
年 初

2003年は、文化センターの講座、読売や町内会の仲間と
忙しく歩いています。カミさんにデジカメを買って貰ったので、
速報ができるようになりました。 



2003年1月9日 ◇陣馬山と岩殿山◇ 403
 久しぶりの道を下見に出掛けました。7時40分、八王子駅からタクシーで陣馬高原 下へ。和田峠への車道を途中から左に入り、最近、整備された新ハイキングコースを陣 馬山へ登りました。明王峠に出て、相模湖駅へ下りました。駅前の園地で昼食後、岩殿 山に登るため大月に向かいました。駅から頂上の城址に登り、岩場を通って稚児落とし へ。木の根に注意しながら下り、吊り橋を渡るとバス道路に出ました。やっと自動販売 機を見つけて、ビールにありつき大月駅まで歩きました。2人。



2003年3月19日〜23日 ◇硫黄・横・赤岳◇ 420
 恒例の春山も2人では合宿にならず、個人山行となりました。中央線の夜行がなくな ってしまったので、19日の夜のうちにタクシーで美濃戸口まで入りビバーク、20日 にカモシカ(写真上左)に迎えられて赤岳鉱泉へ設営しました(上右・中左右)。21日、 硫黄岳に登り横岳、赤岳への縦走を始めました(下)。雪が多くて、横岳のヤセ尾根に手 こずりましたが、無事に晴れた赤岳に登頂し文三郎尾根を行者小屋へ下り、赤岳鉱泉の テントに戻りました。22日は、天狗岳へ向かうつもりで登りはじめましたが、オーレ ン小屋への道が雪が深く、天候も思わしくないので撤退しました。23日は美濃戸口へ 下り、バスで茅野に出ました。前に教わった「健康ランド」で入浴しましたが、アルコー ルを売っていないのにがっくり。「健康・・」だものね。駅前のそば屋で打ち上げとなり ました。2人。



2003年4月17日〜13日 ◇瑞牆山と茅ヶ岳◇ 424
  韮崎駅からタクシーで瑞牆山荘まで入り、10時20分に歩き始め、富士見小屋へ 登りました。ここからは、残雪が凍り付いており軽アイゼンの世界となりました(写真 上左)。雪の付き方が不安定なので意外と時間がかかり、途中で昼食になりました。1 4時20分に登頂(上右)、往路を下り瑞牆山荘で宿の迎車に乗り、増富温泉の「金泉閣」 に到着しました。13日は、宿の車に送ってもらい深田公園へ。8時50分に歩き始 め、女岩、深田氏終焉の地(下左)を経て、茅ヶ岳頂上(下右)で昼食となりました。ウィ ークデーなので頂上にはほかに数人だけ、少し雪の残る金ヶ岳へ向かいました。東光に 下り、40分ばかり歩いて「明野ふるさと太陽館」で入浴し打ち上げ、タクシーで韮崎駅 へ向かいました5人。



2003年5月21日〜22日  ◇西沢渓谷と乾徳山◇ 435
 昔歩いた道の再訪でした。21日、塩山駅を9時31分のバスで東沢山荘に。サブだ けで西沢に入り、渓谷美を堪能して七つ釜の先で昼食にしました。昔、木材などを運び 出した森林軌道跡をたどって東沢山荘へ戻りました。のどを潤した後、ばすで徳和に移 動しキャンプとなりなりました。22日朝6時20分、テントを張ったまま歩き始め、 錦晶水などを経て8時に国師平、直下のクサリ場を越して10時に乾徳山に登りまし た。昼食後、往路をテントに下り、バスで塩山駅へ戻りました。2人。



2003年6月30日 ◇沼津アルプス◇ 444
 沼津駅8時45分発のバスで黒瀬へ、9時に登り始めました。香貫山、横山を経て徳 倉山で昼食に。400メートルに満たない山々だが、五山七峠と言われるとおり、ロー プやクサリもある急な登降の連続に、千メートル級に登る感じ。さすが“アルプス”。 もっとも急登で“最高峰”の鷲頭山に着く頃には暑さもあってよれよれ、昨夜の酒ばか りではないようです。最後の大平山は敬遠して、多比口峠から海側の多比へ下り、バス で沼津駅へ戻りました。お決まりの打ち上げは駅近くの「漁場」で。3人。



2003年7月21日〜23日 ◇硫黄岳と天狗岳◇ 451
 読売山岳会の仲間と本沢温泉をベースにしての山行でした。21日は、小海駅から本 沢入口までタクシーに乗り、のんびり歩いて本沢温泉に。白馬鑓温泉と日本一の高さを 競う露天風呂で英気を養いました。22日は、夏沢峠を経て硫黄岳に登りコマクサ(写 真上右)の群落に囲まれました。夏沢峠に戻って昼食、今度は天狗岳に登って硫黄岳か ら赤岳方面の展望を楽しみました(下右)。本沢温泉へ下り、登頂を祝っての乾杯、もう 一泊しました。23日は小雨の中、クリンソウの群落を見て(下左)、往路を戻り小海駅 前で打ち上げとなりました。7人。



2003年8月25〜28日 ◇飯豊連峰◇ 460 
 読売山岳会の合宿に勇んで出掛けたのですが、連日の雷雨に停滞を余儀なくされ、安 全を取って撤退しました。新津経由の夜行で小国へ、タクシーで飯豊山荘へ入りまし た。いきなりの急登に参りましたが、なんとか水場につき(写真左)、雨模様に設営を決 めました。テントに潜り込んだ途端にものすごい雷雨。翌日も同様で、停滞。雨だけな らともかく雷様には勝てないと、撤収し(右)飯豊山荘の温泉に浸かった次第です。5 人。



◇この夏の山◇
 この夏は散々でした。8月中旬に、山形から秋田へご近所3家族でキャンプ旅行をし ました。せっかくだからと鳥海山をねらいましたが、雨でダメ。24日の夜行で読売山岳 会総勢5人で飯豊連峰縦走に向かいましたが、低気圧の影響で連日の雷雨、雷と地頭に は勝てず撤退し温泉に。30日に町内会の山仲間と富士山に、夜半は大きく火星が見える いい天気だったのに、深夜からひどい風雨で九合目で撤退・・というわけでした。




2003年9月13日〜16日 ◇燕岳から槍ヶ岳◇ 464
 読売山岳会の秋合宿で、北アルプスの表銀座コースを歩いてきました。12日の夜行 で登山基地の中房温泉へ。そこから、北アルプスでも有数な登りといわれる合戦尾根を 高山植物に慰めながら(写真上右)たどり、花崗岩の燕岳に登りました。一服後、 強風 の中を槍ヶ岳への縦走を開始。この日の泊まりは、大天井ヒュッテで、夕食は揚げたて のトンカツでした。
 14日は、遠くの展望はないものの晴れて、いよいよ槍ヶ岳への道となりました。西 岳付近の長いハシゴやクサリを慎重に越す頃、前方に大きく槍ヶ岳が現れ(上左)、一同 歓声を上げました。槍ヶ岳山荘に荷を預け、ハシゴ、クサリの連続で快晴の穂先に登り ました。頂上では、わたしの登頂50周年を祝ってもらいました。下に少し雲が出て珍 しいブロッケン現象(右中・雲に自分の姿が映る)も現れて祝福してくれました。
 15日は快晴で、ご来光や穂高が赤く染まる(下左)のを見てから下山を開始しまし た。槍ヶ岳の影に驚いたり(下右)、三俣蓮華岳など裏銀座コースの展望を楽しみなが ら、千丈沢乗越へ。飛騨沢を下り、新穂高温泉に泊まって露天風呂で汗を流し、打ち上 げとなりました。8人。



2003年11月5日 ◇越前岳◇ 479
 御殿場駅から松原君の車とタクシーで十里木へ向かい、駐車場から09:40歩き始 めました。ときどき顔を出す富士山を振り返りながら、11:55愛鷹連峰の最高峰越 前岳(1504m)に到着。着いたときは私たちの他に数人だったのに、近くの学生の集団と 中高年の30人ほどのパーティが登ってきたので、たちまち頂上は満員になりました。 お後と交代ということで、コースを東にとり下山を始めました。途中で鋸岳の険しい稜 線を見て、ブナの多い尾根を無人の愛鷹山荘を経て愛鷹登山口のバス停で迎えの車を待 ちました。そのまま、松原君の三島の“別荘”に向かい、すこし早い忘年会となりまし た。6人。



2003年12月20日〜22日 ◇尾瀬◇ 490  
 燧ヶ岳をねらって19日の夜、雪の中を戸倉までタクシーで入って泊まりました。
 20日も雪は止みませんでしたが、行けるところまでと出掛けました。ネットによる と前日の戸倉スキー場は20センチだったのに、予報が外れてヒザ下からついにはモモま でのラッセル。これでは一ノ瀬までも無理と判断しバス道路に設営しました。
 21日も止まず、撤退を決めて引き返し始めましたが、雪はますます深くなり戸倉の 発電所近くにまた設営。
 22日は薄日の差す天気になり、やっとのことで戸倉に帰り着きました。温泉で暖ま り遅れたバスで沼田に出て、ビールと厚さが2.5センチもあるカツ定食で憂さ晴らしと なりました。店主は「一晩で90センチも降った、こんなに降ったのは珍しい」と。3人。

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